2012年5月23日 (水)
2012年5月21日 (月)
2012年5月18日 (金)
ゴ ロ ゴ ロ 岳
5月16日(月) 晴れ時々曇り
阪急甲陽園から甲山と芦屋川との間にあるゴロゴロ岳を探ってみました。

平日の朝ですから、阪急甲陽園駅から夙川学園の生徒と学生がゾロゾロと急坂と階段を登ってゆきます。 後ろについてゆきました。 県道に出て右へ短大の方へ行くと銀水橋があります。 ここが北山国有林の入り口です。 すぐにお寺への道と分かれて水分谷に入ります。 谷はすぐに露岩の多いロックガーデンのような高原台になります。 三つある北山池の横を進んで北山ダム湖に出ました。 左へ鷲林寺に行こうと思いましたが、整備されて道が無くなっています。
池を一周してバス道をテクテク歩きです。 墓地と介護の立派な病院があります。
交差点を越してから修道院へゆく旧道を登りました。 薄暗くて気持ちの好い道です。

鷲林寺をぬけます。 階段の下の右手に武田信玄の墓がありますが、どれかはわかりません。
立派なお寺です。
舎利塔の横を抜けて上のお宮さんの鳥居をくぐれば、右が谷道で左が尾根道だがほんのしばらく登れば一つになります。
時々露岩が道をふせぎますが、ゆるやかな道が続きます。
左からがべの城からの道があがってきますが、しばらくすると地震観測所のフェンスと建物が続いてアレアレと思っているとゴロゴロ岳三角点の三叉路に出ます。
ここで昼食をしてから、左の苦楽園尾根をくだりましたが、ここが想像もしなかったバイトを強いられました。
巨岩と堆積と露岩帯の連続です。
途中で二度ルートに自信が無くなってたたらを踏みました。 尾根の中心と思うところをまっすぐ降りましょう。 小岩を並べて道を塞いであるところは右です。
最後に石段を降って苦楽園三番丁の住宅地の最奥に出ました。
広壮な邸宅とマンションが並んで人気(ひとけ)はまったくありません。 広い舗装路をドンドン降ると、次は左右が学校ばかりの地帯にでました。 こんな高台ではスクールバスが無いと通えません。
県道まで降ってさらにテクテク・・・ 駅まで2.5㌔ありました。
北山国有林はトテモ感じの好い所ですから、再挑戦して鷲林寺への近道を探しましょう。
ゴロゴロ岳三角点からは地震観測所の車道を奥池へ降りてみようと思います。
12,8㌔ 7時間 苦楽園尾根は初級の方は危険です。 ハイキングコースではありません。
2012年5月15日 (火)
2012年5月10日 (木)
会下山より横池へ・・・
5月7日(月) 晴れ時々曇り
前回(4/24)に横池より帰りのルートが納得できなかったので、今回は趣向をかえて、芦屋川の会下山(えげのやま)より登ってみました。
最後の地図を参考に・・・ 高座の谷道の途中にも道標がありますが、直接には駅から川沿いに登って橋を左へ、三本目を北に向かいます。 山手中学校の通学路です。
地図でご覧のように突き当りまで行くと遠回りです。 百㍍ほど手前を左折です。 墓地の横を過ぎると右側に道標があります。
猪よけのフェンスの扉を開けて入ると、山道で階段を百㍍ばかりで会下山遺跡に出ます。
50年前に中学生が発見したようですネ・・・
地獄谷でロックガーデンを隔てた尾根になります。
軽い登りが続いて蛙岩にでます。
魚屋道(ととやみち)ですから、左へ甲南女子大、薬科大、保久良神社へ降る道を次々と見送って風吹岩の南の岩場の登りになります。 この登りは案外楽です。
風吹岩は眺めただけで横池にむかいます。
雌池を過ぎるとすぐに問題の左の分岐があります。
左に行けば前回に通った”さかもぎ道”で右に進むと50㍍ばかりで打越峠に向かう本道に出ます。
今回、八幡谷を下っている途中で道普請をしている篤志家に出会いました。 この方が”さかもぎ道”を造った張本人です。 独りでモクモクとこのあたりの道普請をやってます。
「何故、こんな道を造ったのか?」は愚問です。
数百㍍におよぶ天然材の柵はこの方のモニュメントです。
今日は打越峠で昼食にして、八幡谷道を降って途中で前期の篤志家にあったわけです。 平日でも次々とこのルートを登ってくる方があります。 翁はとてもジグザグのこの急阪は登れません。
ちなみに会下山ルートはロックガーデンより距離は長いがズット楽です。
前回の軌跡と合わせました。
7.6㌔ 4時間40分
岡本駅の手前の八幡谷の石で固められた川底に猪がいました。
どこから出入りするのでしょうか
2012年5月 7日 (月)
2012年5月 5日 (土)
映画・HOME愛しの座敷わらし
HOME愛しの座敷わらし
ホームドラマと思って観ましたが、民俗詩でした。
個性のある登場人物5人に座敷わらしも加えましょう。
築200年の古民家の中で家族の愛の絆が育てられます。
<翁の採点>○○○○○
人気ドラマ「相棒」の水谷豊が別の顔を見せます。
三人目の若い相棒を迎えて新「相棒」の撮影が始まりました。 こちらも転機が必要です。
2012年5月 1日 (火)
2012年4月27日 (金)
横池あたり・・・
4月24日(火) 快晴 地上25℃
ロックガーデンから横池の南を通って打越峠に出るはずが・・・
平日でもお昼前は風吹き岩の上は満員です。
雄池の向こう岸にトカゲをしている人がおります。
横池を過ぎると分岐があります。 ためらわずに左をとってズンズン降ると”さかもぎ”で柵が続いています。 そして二つ目の分岐がありました。
もう一つ納得できないまま左へ降りましたが、はぶ谷道でした。
雌池を越してからまっすぐ南下している地図に無い管理道路です。 一つ目の分岐を右に少し進むとパノラマ道に出るはずです。
八幡谷の出口 の手前にあるお社は八幡滝とお不動さんを祀った祈祷所だったそうです。 スッカリ寂れておとづれる人はありません。
適当に降ったら阪急岡本駅の北改札を発見しました。
2012年4月20日 (金)
有 馬 富 士
4月18日(水) 快晴
千苅ダムの大岩ヶ岳の頂上から、三田市の北のはずれにポツンと立つ有馬富士が気になっていました。
JR三田から神姫バスで成谷口下車、東に村の中をぬけて福島大池に出ます。
池の南一帯は兵庫県立の有馬富士公園になって、平日でも車で来るアベックと女性グループで賑わっています。
池を一周しました。東北端に広い溶岩流が押し出しています。

ルートは東南から林道を登って最後は階段を詰めて頂上に出るのと、南から正面を登って最後は100㍍ばかり岩場を詰めるルートに大別されますが、南の岩場の降りは危険ですから、このルートを登って降りは東へ階段を降るのが正解です。
「登山の服装で登ること」の注意書きがありますが、車で遊びに来た遊覧客への注意でしょう。
北に下って花山院に行くつもりが、間違えて山麓一周ルートに乗ってしまって、元の場所に帰ってしまったから花山院には行かずです。

病後2ヶ月半ぶりです。
7.8㌔ 4時間半
これが限度のようです。
湖畔の茅葺き屋根の民家は5年前に兵庫県が建てたものです。
案内所になっています。
2012年4月15日 (日)
映画・ アーティスト
The ARTIST
1927(昭和2年)からの5年間、 映画がサイレントからトーキーに移る時代の物語・・・
昔の横幅の狭い画面で、白黒です。 字幕が時々出ます。
音楽は全編に流れて、その時の情景をあらわしますからセリフはありませんが、よく理解できます。
全盛だった男優が階段を降り、新米の女優が階段を登る話です。
もう一匹の小犬が主演を勤めます。
現在のアメリカ映画の刺激に対抗して感激がいかに大事か教えてくれます。
劇中劇のサイレント映画は「The End」で終わりますが、 この映画は最後は音が消えて字幕が次々と出てから、トーキーになり、現代式の延々とエンドロールになります。
アカデミー賞が無ければ、この映画は日本で上映されなかったでしょう・・・
本当の映画好きの観る映画です。
<翁の採点> ○○○○○
1926年生まれの翁はサイレント映画は観てません。 初めて洋画を観たのは父親に連れられて1934年の「キング・コング」です。 独りで観にいったのは中学生の時にエロール・フリンの「シーホーク」でした。(この時代は中学生は映画を一人で観に行けませんでした)
2012年4月11日 (水)
2012年4月 9日 (月)
2012年4月 6日 (金)
2012年4月 3日 (火)
2012年3月29日 (木)
2012年3月27日 (火)
映画 マーガレット・サッチャー
The Iron Lady
食料品店の娘のマーガレットは市長になった父の影響もあって、オックスフォードを卒業して政界を目指します。
認知症になった晩年の回顧から始まりますから、初めはチョット戸惑いました。
ビジネスマンの青年と恋をして”シャル ウイ ダンス”を踊るシーンは好ましいです。
英国の階級差別は激しいです。 マーガレットはビジネスマンの夫と結婚することで、ブルーカラーより一つ上のホワイトカラーの英語をしゃべるようになります。
英国で初めての首相の座を得て、英国病にかかっている経済を建て直し、強気でフォークランド紛争で勝利を得ます。
しかし台所仕事もできない妻をささえる夫との愛情物語でもあります。
サイドタイトルにある涙はありません。
所得格差の増大から労働界の反目をかって11年間続いた首相の座を降ります。 真っ赤なバラの花の絨毯を踏んで官邸を去るマーガレットは誇らしげです。 それより妄想の中で夫を見送るシーンにはジーンときました。
メリル・ストリープの演技とメイクアップへの受賞です。 夫役のロードベントも好演です。
<翁の採点> ○○○△●
たいした山場の無い作品ですから、多少の忍耐が要ります。
2012年3月23日 (金)
イヨ いよ トレイニング!
3月22日 いよいよ春・・・ 朝の散歩だけではリハビリの範囲を出ませんが、いよ々々トレイニングです。
・・・と言っても、本格的に歩くのは荷が重いから 、自転車で伊丹の北端の荒牧バラ園をめざします。
自宅から北上して昆陽寺をぬけて昆陽池のふちを回って天神川の土手にでます。
土手の上は車が通りませんから快適です。
大きな桜の並木が続いています。
バラ園はまだ整備中です。 ガッカリ・・・
西に移動して今度は天王寺川をくだります。
天神川に合流すると大きなイオン伊丹昆陽店が見えましたから寄ってみました。
新しいだけ充実した内容です。
6階建ての立体駐車場のほかに平面駐車場が広がっています。 自転車置き場も入り口に置いたら売り場までずいぶん歩かされました。
全行程 13.6㌔ 2時間40分の間 走行時間 1時間22分 平均時速 9.5㌔
腰と太ももの後ろが痛いです。
2012年3月19日 (月)
2012年3月12日 (月)
2012年3月 8日 (木)
2012年3月 5日 (月)
2012年3月 3日 (土)
2012年3月 1日 (木)
2012年2月26日 (日)
その後・・・
16日に退院しましたが、18日夕方から血尿が混じり出しました。
21日に止血剤を飲むと、一発で止血・・・
失禁の恐れがあるため、尿パットをしていましたが、25日の夜から外しました。
尿の間隔が3時間以上になるまで、まだ静養です。
2012年2月16日 (木)
2012年2月 8日 (水)
2012年2月 6日 (月)
大岩ヶ岳の新コース
2月4日(土) 晴れのち曇り
千苅池の大岩ヶ岳に新しいコースを探りました。
JR道場~千苅ダム~旧コース~大岩ヶ岳~東大岩ヶ岳~丸山~西コース~中央尾根~東山橋~道場
ダムから湖畔コースを少し登って旧コースに入ります。(新コースは地図に未載)
左手に新コースの尾根を見上げながら、喬木と砂岩の丘を次ぎ々々と辿る気持ちの好いコースです。 大岩ヶ岳の頂上が迫ってくると右手に回り込んで分岐に出ました。
まっすぐ登ります。 岩稜だと思い込んでいたのに、傾斜の少ない楽な登路です。
この山の東側は岩壁、西側は急阪なのに、南面は最後は砂岩になって、アッケなく頂上に出ました。 360度の絶景ですが、風が強くて
早々退散・・・ 少し降った岩棚で日向ボッコしながら早い昼食です。
東大岩ヶ岳に寄ってみました。
5分ばかりの急登ですが、頂上は巨岩の独立峰です。 狭い頂上ですが、真下に千苅池の絶景です。
降りは樹の根っこをつかんで案外楽でした。 丸山の散策路に出て道標の西コースを進みます。 ゆっくり登って看板のある小さな広場を過ぎると分岐になって、左へ[東山橋」の小さな道標に従います。
よく踏まれた喬木と所々に砂丘がある爪先下がりの快適なコースです。
関電鉄塔を過ぎて右側の尾根が尽きて波豆川を見下ろす断崖に出ました。 下に千苅貯水所の正門が見えます。 ジクザックに降って東山橋を渡りました。 雲って風が強くなって寒くなりました。
これで大岩ヶ岳を巡るコースは一通り歩きました。
11.8㌔ 4時間20分
2012年2月 3日 (金)
2012年2月 2日 (木)
2012年1月25日 (水)
2012年1月21日 (土)
2012年1月16日 (月)
映画 「悲しき獣」
黄海「悲しき獣」The yellow seaの予告編
中国東北部の朝鮮族自治区から借金の返済と出稼ぎに行った妻を捜すため、密航船で大連から黄海を渡って韓国に行ったグアムは韓国警察と三つの暴力組織の抗争に巻き込まれて三つ巴、四つ巴の乱闘にまきこまれます。
大型トレイラーを巻き込んだカーチェイスは爽快ですが、血まみれの殺人シィーンが延々と続くのには辟易します。
エンドマークが出ても席を立たないでください。 オチのシィーンが追加されます。
船長を脅して乗った漁船からグアムの奥さんの骨箱が波間に漂います。 グアムは?
グアムの奥さんは旅行カバンを持って列車に乗ります??
中国朝鮮族自治区と韓国を隔てる黄海は悲しい海です。
<翁の採点> ○○○●●
朝鮮族は中国の少数民族の一つです。 韓国に渡っても日雇いしかできぬ差別を受けます。 苦労して大学を出た若者は中国、朝鮮の言葉の他に日本語と英語も身につけて国際人として活躍しています。
差別の無い日本人は朝鮮半島の中の差別はしりません。
2012年1月11日 (水)
初登山・竜王山
1月9日(成人の日) 曇り時々晴れ
昨日から風が無くなったから、辰年にちなんで生駒山系の北端の竜王山に初登山です。
JR河内磐船~かいがけ道~竜王山~八つ橋~獅子窟寺~河内磐船

かいがけ道沿いの石碑には正月らしく新しい供花が飾ってあります。

頂上に出た最初に竜王を祀った小祠があって50㍍ほどで巨岩のある頂上です。
交野山・旗振山と合わせて交野三山の一つです。
そのまま進んで道標から右の下山道をとりました。 急坂でロープが三ヶ所あります。 降って右にとるとアッケなく管理道路にでます。 傍示部落の東裏です。
峠を越えて”くろんど園地”に入り八つ橋から獅子窟寺に向かいます。
ミニ・ロックガーデンを過ぎて巨石と赤い涎掛けの石仏が点在する境内に入ります。

舗装された急坂の表参道を避けて地道の裏参道を降ります。
王の墓は亀山上皇と皇后のお墓です。
2012年1月 8日 (日)
2012年1月 4日 (水)
2012年1月 1日 (日)
2011年12月28日 (水)
2011年12月25日 (日)
2011年12月21日 (水)
2011年12月17日 (土)
横池から八幡谷
12月15日(木) 晴れ また、寒くなるから、ロック・ガーデンを登りました。

ロックガーデンの登りは暑くて袖をまくりましたが、尾根筋に出ると風があって寒いです。
平日でも次々と追い抜かれます。

雄池から雌池を目指しましたが、踏跡が薄いので引き返して管理道路に戻って打越峠を目指します。

ポールに「八幡谷・阪急岡本」とありましたから、此処が打越峠と思って、ベンチで早い昼飯をしてから降りました。 ゆるい降りの良いコースです。 帰ってからGPSで解りましたが、はぶ谷を下っていました。 分岐が一つ早すぎました。
左岸ばかり降るのでおかしいなと思いました。 小さな橋を渡って階段を少し登ると「山の神」がありました。 ここからが八幡谷です。
ダムを過ぎて八幡滝に出ます。 写真の左上に細い滝があります。
鈴をつるした社殿がありますから、神様が祀ってあるのでしょうが、祭神は滝なのか、道の傍らの巨岩なのか、ネットで調べても分かりません。 神秘的なところです。 すぐ下流に高さ30㍍ほどの切りさいだような断崖渓谷があります。 ダムの横の急階段を下って簡単に住宅地に出ました。
ここにある案内看板が一番理解できるので添付します。 陸測図も昭文社も役に立ちません。 此処が駅から登り口まで六甲で最短だそうです。
8.1㌔ 5時間半
森林組合(国土省)の道標は完備されていますが、行き先だけて、そこの地点名がありません。 ダムは砂防ダムです。
次の機会に横池の南側のコースを通って打越峠から八幡谷へ降ってみます。
2011年12月14日 (水)
2011年12月11日 (日)
2011年12月 8日 (木)
川下川ダムより武田尾へ
前回に続き 川下川ダム~武庫川~廃線跡~武田尾
ダムは宝塚市水道局の貯水池ですが、土を盛り上げたようなソッケない感じです。 それより高速道路の工事がダムとJRの鉄橋との間で巨大な橋脚が造られています。 切り替えして武庫川畔に降りる道も工事用になって歩行者通路がご覧のよう用意されています。 それだけの需要があるのでしょうか?
JRの鉄橋の真下で流のほとんど無い川下川を渡って武庫川畔に出ます。 頭上を電車が轟音をたてて通過します。
ここから道はありません。 大小の岩が積み重なって武庫川はソコソコの急流です。
岩を登ったり、飛び越えたりで川の次の湾曲部まで200㍍たらずを1時間かかりました。 前回のGPS図を見てください。 無理な姿勢の連続で電波が無茶苦茶にみだれています。
前方を遮る巨岩の左側にロープがぶらさがっています。
ホットしました。 エテ公登りで上に出て崖の端の落ち葉の上を降り気味に進むと踏跡がシッカリしてきます。
ロープをわたしてある所もあって、下で濁流が轟音をたてています。 ふと川岸にガードレールのある所に出ました。 広い平坦な道です。 旧福知山線のもう一つ古い線路跡です。 旧武田尾駅の東の草山トンネルが出来る前の旧々線跡です。 ここから対岸に渡っていた鉄橋の橋脚跡が残っています
。 枕木等の跡はありませんが、ステステ歩けますから調子があがります。
作業小屋があってトンネルが100㍍ほど空いています。 湾曲しながら進むとこのような障壁がありました。 武田尾を出た旧線がすぐ草山トンネルに入ってこの下が出口です。 すぐに鉄橋を渡ったようです。 これは落石除けです。
すぐに道は舗装路になって人家があらわれます。 対岸は武田尾温泉の旅館がならびます。 赤い新しい橋があってトンネルがあります。
これは前述の旧トンネルの横っ腹に繋がっています。 突き当たって右でトンネルを抜けます。(左は通行止め) すぐに現在のJR線が頭上で交差します。 少し行った水道管が道を跨っているあたりが旧武田尾駅です。
現在の武田尾駅は2両が橋の上であとはトンネルの中です。
道場駅をでてから武田尾駅まで 11.2㌔ 7時間10分 です。
丸山南岩稜と川原歩きは精神的にハードでした。 が達成感はあります。
GPS図は前回のものをご覧ください。 スキャンが不鮮明ですが、昭和42年版の陸測図を添付します。 旧福知山線を確かめてください。 実線は現在線です。 全部トンネルです。 拡大してください。 少しハッキリします。
2011年12月 6日 (火)
大岩ヶ岳より丸山南岩稜へ
12月5日(月) 晴れ時々時雨
2週間前の千苅ダムから大岩ヶ岳の降りルートが納得できなかったので、また行きました。
今度はチョット難コースです。 最初の小さな渓の登りはイロハモミジの絨緞です。
大岩ヶ岳頂上の360度の展望は何回来てもスバラシイと思います。
今回も東大岩ヶ岳は先を急ぐので割愛しました。 ここの展望もグーのようです。
大岩ヶ岳の東面から丸山湿原方面の道路標識はこのあたり全般のコースが頭に入ってないとかえって迷う原因になります。
今回は丸山湿原周回コースの東コースを南下しました。
途中に展望所があります。 東南の隅にある川下川ダムへの標識には「岩場あり通行注意」とありますが、ハッキリと「危険」と一般ハイカーの通行は禁止すべきコースです。
すぐに砂岩地帯に出て右側を降ると岩稜の上に出ます。 約40㍍の岩稜ですが、確実なクライム・ダウンで降りましょう。
そこそこのロック・クライミング技術を体に覚えていないと危険だと思います。
左の写真は降り終わって安全な場所から撮りましたから、全貌はわかりません。
此処から下は渓まで100㍍近くチェーンの柵がもうけられています。
ここからは渡渉が二三回ありますが、踏跡が非常にうすくなっていますから、岩稜を降らずに引き返している方が多いのではないでしょうか・・・ それなら、もっと早く警告すべきです。
川下川沿いの舗装路に出ます。 川下川ダムとJR線の間に第二名神高速の延伸工事で巨大な橋脚の工事が始まっています。 対岸上部にゆく大型ダンプがひっきりなしに通りますから危険です。 武庫川を武田尾に向かうコースは次回・・・
2011年12月 3日 (土)
2011年11月29日 (火)
2011年11月24日 (木)
千苅ダム・大岩ヶ岳・丸山湿原
11月22日(火) 快晴 朝寒
し
久しぶりの道場駅・・・相変わらず無人駅ですが、自動改札で5人は入れない待合室があります。
浄水場をすぎて波豆川にでると朝の冷え込みで湯気のような川霧です。
千苅ダムの前に出ると、その堂々とした水量には圧倒されます。
橋を渡ってすこし下流にくだってからフエンスに沿って上ると小さな渓流に出ます。 左に渡ると湖岸に沿った道になります。
渓流を二つばかり渡って湖面を展望できる地点を過ぎると道が分かれます。 右に曲がります。 まっすぐは周回コースです。
丈の低い潅木の中をゆっくり進むと正面に大岩ヶ岳があらわれます。 右が主峰です。 一度おお降りしてから岩の急斜面を登ると三角点のある小さな頂上ですが360度の展望です。

北面は特に開けて左手の三田市街の北に可愛い有馬富士がチョコントあります。 北摂の山々を楽しんでください。
東にくだります。 ここからは兵庫県の自然観察ゾーンになって道標が整備されています。
一帯が自然林の中でここだけが杉と桧の植林地帯を抜けると道が広くなって境野と丸山湿原の分岐にでます。
丸山湿原は自然観察に興味のある人には貴重なもののようです。
ここの分岐でコースを間違えました。
右の尾根コースを行く予定を丸山湿原の周回コースに入ったので、一つ東側の渓に出るコースを辿りました。 丸山湿原に行ったはダメです。(続き)に参考図 東コースを進んで分岐で左を取るようです。 帰ってからGPS図を開いてからわかりました。 まず、丸山湿原の周回コースを理解しましょう。
途中で広大な砂岩地帯を抜け小さな流を5回ほどわたって雨が降ればなめ滝になるような渓谷を下って千苅浄水場に南にでました。
これだから、また行く理由ができました。 7時間 10㌔強
(続きを読む)に丸山湿原の回遊コースのGPS図を拝借しました・・・
2011年11月20日 (日)
2011年11月16日 (水)
ロック・ガーデンから保久良神社
11月14日(月) 小春日和
阪急芦屋川~ロック・ガーデン~風吹岩~保久良神社~阪急岡本
高座の滝の横から鳥居の前を左に上がるとロック・ガーデンの入り口です。 平日でも三々五々とパーティが登ってゆきます。
風吹岩の前で日向ボッコをしていると次々と山ガールが来ました。 イイことです。

今日は阪急岡本に降りました。 途中、自然林整備のグリーンベルトにさしかかると、明るくて眺めもいいのですが、丸石をコンクリートで固めた階段がバリヤー
になって困ります。
保久良神社は須佐之命を祭神にした古いふるいお宮ですが、石矛や石剣が出土していますから、石器時代は磐座の祀りがあったのでしょう。
正面に古い灯篭と「灘の一ッ火」の説明があります。 大昔の灯台です。
2011年11月12日 (土)
髭の渡し・コスモス園
武庫川の新幹線の北側にある新しい花の名所です。
阪神大震災の後、不法投棄のゴミの山を地元のボランティヤの方々が片付けて、その後尼崎市からコスモスの種と肥料の供給をうけてコスモス園を完成しました。
武庫川東側の河川敷3,300平米に約550万本のコスモスが咲き誇っています。
今月末までが見ごろです。
南端に駐車場がありますが、休日は満車でしょう。 阪急武庫之荘駅からバスがあります。
『髭茶屋』下車 下の●
この黄色の品種は珍しいですネ・・・
「髭の渡し」とは明治42年に甲武橋ができるまで、ここに渡しがありました。
今、行者堂のあたりに髭の安兵衛さんの茶屋があったので、髭の渡しと呼ばれていました・・・トサ
1万円のコンパクト・カメラにしては見事な出来栄えです。
2011年11月 9日 (水)
2011年11月 6日 (日)
武庫川渓谷・廃線跡を歩く
桜の園から武庫川河畔に降りると、昔は福知山線が単線で武庫川に沿って走っておった廃線跡(C点)に降り立ちます。
武田尾駅と生瀬駅の間をトンネルが六つと鉄橋を通ります。
JRの用地で「立ち入り禁止」が建前ですが武庫川渓谷の絶景も堪能できるハイキングの秘境です。
平日でも百人以上の人々が来てますから、休日や紅葉に桜の季節は行列になるでしょう。
しかし、あくまでも自己責任で行動しましょう。
線路跡歩きだけでは、時間が余るので、桜の園の上の広場まで上る方も多いようです。
桜の園(C点)と武田尾駅の間はトンネルが二つありますが、直線なので明かりが届いていますが、これより南は短くてもトンネルが曲がっていますから、中は暗黒です。 ライト必携です。
ヘッドランプの方は少なくて、ペンライトか中には携帯電話のパネルで歩いている人もいました。
すぐに三つ目の長い長尾山第一に入ります。 壁側は障害物がありますから、枕木の真ん中を歩くのが良いでしょう。
出口が見えてくるとホットします。
続いて鉄橋をわたりますが、測道が完備されています。
次のトンネルをぬけると、しばらく渓谷美を堪能します。 このように岩が狭まって濁流が流れる所もありますから、渓流降りは無理でしょう。
次は一番長い413㍍の北山第二ですが、此処までくれば歩きなれた感じです。
ここまでで、廃線跡歩きはおしまいです。
目の前の高いところを中国高速道が渡ってR176の改良工事で遮られて上にあがります。 国道は塩瀬部落に行かずにショートカットされています。 旧道を少し歩いてB点になります。 まだ工事中でいずれ信号が出来るでしょうが、生瀬から来ると分かり難いでしょう。
ここまで約5㌔で生瀬駅まで1㌔足らずです。 生瀬バス停から右に入るとJR生瀬駅です。
このコースはト
ンネルの障壁が剥落はじめたりすると通行禁止になる恐れがありますが、それはその時のことです。
2011年11月 3日 (木)
北摂・大峰山
11月2日(火) くもり時々晴れ
宝塚~十万辻~大峰山~櫻の園~武庫川廃線跡~JR生瀬
宝塚駅前から阪急田園バスで十万辻下車。 大峰山への取り付きは、一つ手前の渋谷バス停との中間からもありますが、急坂のようなので(続き参考)、北取り付きからにしました。
十万辻で降りると目の前にトンネルがありますが、右へゴルフ場のほうへゆきます。
ゴルフ場入り口で道は鋭角にUターンします。 左右はネットのフェンスです。
左のフェンスが途切れると左図の道標があります。
草付きの踏跡に入ると、道は自然林の中をユックリと登ってゆきます。
しばらくすると峠で南からの急坂が登ってきてT字路です。
尾根の上に上がってしまうと踏跡はゆるく上下しますが、自然林ですから好い気持ちです。
右の写真は鉄塔付近で一番明るいところです。 鉄塔では北摂の南北を眺望できます。
大峰山(552.4)頂上は小さな広場ですが、展望はありません。 やや広い尾根をゆったり進むと次第に降りになります。 広い尾根は落ち葉で踏跡は薄くなり、ある程度曲がりくねっていますから、降りはテープ、リボンの確認をしっかりしましょう。
三等水準点のところまで降るとケーブル工事の看板があって、
索道が大峰山頂上の北側へ延びています。 何を運ぶのでしょうか・・・
道がシッカリしてきて{アカマツの広場」から東屋のある所までくると、下から三々五々と人があがってきます。 「櫻の園}です。
いろんな名前の道が錯綜しています。
まっすぐ降りると廃線跡の枕木の並んでいる武庫川渓谷に降り立ちます。
大峰山 3.5㌔ 3時間
廃線跡 6.5㌔ 2時間
9.9㌔ 5時間半
2011年10月30日 (日)
衛 星 放 送
10月29日(土)からプロ野球のクライマックス・シリ-ズが始まりました。
午前中の米国でのワールド・シリーズは別にしても、これ等の野球放送はNHKのBS放送だけです。
NHKはBS放送の普及率を60%と称していますが、我が家の近辺でパラポラ・アンテナが付いているのは30%強です。 古い昔からの村ではモット少ないようです。
マンションは全部設備されていますが、新しいTVを持ちながら、”衛星放送はどうしたら、観れるのですか?”の質問をよく受けます。
分波器を付けるように薦めますが、電気店に買いに行く気はないようです。
少し前は2千円台だった分波器は通販では350円になっています。
衛星放送の普及率は40%以下でしょう。
2011年10月25日 (火)
映画・ 一 命
「一 命」
江戸時代の初頭、食い詰めた浪人が大名家を訪ねて庭先を借りて切腹したいと願い出て金銭をせしめる「狂言切腹」がはやっていました。
こともあろうに井伊家に願い出た若い武士、千々谷求女(瑛太)は「武士の一言」を立てに竹光で切腹するハメになります。 凄惨な場面です。
ネタバレになりますが、求女は映画の冒頭に出てくる津雲半四郎(市川海老蔵)の娘婿です。
求女の遺骸が戻ってきた時、半四郎の娘の妻の美穂は労咳の身で熱病で死んだ生まれて間もない赤ん坊の横で求女の折れた竹光で自害します。
半四郎は求女の切腹の時の介錯人、見届け役、立会人の三人を峰討ちで倒して三人の髷をふところにします。 そして井伊家に切腹の場を願い出るのが冒頭の場面になります。 場面が前後しますから、今の説明を心得てください。
そして家老の斉藤勘解由(役所広司)と対決し、先の立会人三名の出頭を求めて武士の宿命と人情を説き、求人の遺骸に添えられた小判三両と三人の髷を放り出して刀を抜きます。
竹光です。 井伊家の武士数十人と大乱闘になります。 井伊家の赤備えの甲冑も吹っ飛びます。 竹光も折れ、最後は大手を広げて切り倒おされます。
ザンバラ髪で戻ってきた三人はあいついで切腹します。
私は最後に勘解由も責任をとって、切腹すると思ったのですが、殿様の前で井伊の赤備えの強固さを誇っておわります。
海老蔵は歌舞伎で培った華麗な所作と圧巻の眼力で見せ場を作って適役です。 瑛太はヨクやりました。 窮乏した浪人の生活は余りにも哀れです。
重い 重い 凄惨な物語です。 説明の足りない所やフニ落ちないこともありますが・・・・ もう一度観たいとは思いません?!
<翁の採点> ○○○△●
2Dで観ましたが、評判では3D効果は余りないようです。 美しいカメラ 控えめの音楽 外国上映を意識した作品です。 仲代達矢、三国連太郎の「切腹」(’62)のリメイクです。 旧作を観たいとおもいます。
2011年10月21日 (金)
伊 丹 緑 道
伊丹緑道 をあらためて歩いてみます。
猪名野神社にお参りして、奥に進みますと左隅に階段があります。
これは昔々此処に砦があった時の土塁で越えると有岡城の外堀になります。
今は暗渠になっていますが、ここが出発点です。
左は外周道路です。
左は崖で右下に住宅が見えて、その向こうは産業道路です。
途中の写真は上記URLでご覧ください。 

東屋のある展望台をすぎると西国街道と交差します。
ここが伊丹坂です。 左に少し登ると、左へ「和泉式部の墓」に行く道が登っています。
引き返して産業道路を渡ると多田街道が分かれ、「辻の碑」があります。
戻って、更に進むと緑陰が明るくなって住宅が迫ってきて終点です。
左手に急坂が登っています。 幽霊坂ですが、今は明るくなって昔の面影はありません。
前に進むと171号線の土手で左に登って歩道を進み、次の信号を渡ります。 直進するとプールの横から緑ヶ丘公園に入ります。
2011年10月17日 (月)
2011年10月13日 (木)
2011年10月12日 (水)
映画・ 第三の男
The Third Man
今月から新しくはじまったスター・チャンネルで往年の名作50作が次々と上演されています。
「第三の男」の日本公開は昭和26年の9月ですから、皆さんのほとんどはご覧になっていないでしょう。
翁は60年ぶりの再会で感激しました。
光と影の映像には今までになかった新しさを感じましたが、なんといってもアントン・カラスの弦(ツイター)の魅力です。
you tubeで堪能してください。 画面右下で広がります。
2011年10月 8日 (土)
伊丹廃寺跡
伊丹廃寺跡
伊丹市の北東の自衛隊総監部の前にあります。
8世紀の初め、奈良時代に創建され鎌倉時代に兵火によって消滅しました。
50年ほど前、耕していた畑から出土品が発見され、その後の発掘調査によって、今では塔と金堂の基盤が整備されています。

復元図のように法隆寺と同じ配置の壮大な伽藍があったようです。
残された出土品のうちでこの水煙(塔の屋根を飾った火炎状)は貴重なものです。
文献には残っていませんが、地名から良蓮寺と推測されています。
2011年10月 6日 (木)
2011年10月 3日 (月)
2011年9月30日 (金)
2011年9月27日 (火)
傍示・竜王山ーかいがけ道
9月24日(土) 快晴
暑さにかまけて、2ヶ月と20日ぶりの山行きです。
JR猪名寺~河内盤船 快速45分
このコースの登りは初めてなので曲がり角が分かりません。 2度間違った所をおしえられて3度目の正直でした。(GPS参照)
正行寺の百体佛をおがんでから、住吉神社にヤット着きました。
ひさしぶりだから、ゆっくりユックリ登ります。 ”かいがけ道”は石仏が楽しめます。
左の石の鳥居が竜王山の登り口です。
始めは急傾斜ですが、次第にゆるくなってバテそうになる前に頂上着・・・
手前の「南無妙法蓮華経」の石碑を過ぎて蜘蛛の巣で覆われた小祠があります。 手水鉢には大正拾四年と刻まれています。
それを過ぎると巨岩のある広場があります。 ここで雨乞いが行われるようです。
裏側に降りられると聞いていたから、そのまま進んでT字路に出ました。
地図の実線の道に出たと思って左をとりました。 (右は傍示へ・・・左は交野センターへ)
大きな岩の上に小さな稲荷の社が乗っかています。
巨岩のトラバースがあります。 (このあたりで右への降り道があるはず・・・)
踏跡は細いがよく踏まれています。 要所の岩に赤い矢印がペイントされています。 マークを信用してドンドン進みましたが、何時までも北に向かうのでおかしいと感じはじめましたが、もう後戻りはできません。
ほぼ降りの細い尾根ですが、所々にピークがあって、そこからの下りが木の根をつかむクライムダウンです。
急なところが4,5ヶ所ありました。 左脚の中指が痙攣をおこしだしました。 初めての経験です。 スロー スロー
1時間半ほどでコースは左(西向き)に曲がりました。 GPSの画面に神宮寺の地名がでてきたから、およその場所がわかります。 学校からの歓声が聞こえてきます。 (このあたりで左へ降りるはず) 下に建物の屋根がみえてきたので、一気に下ると墓場の裏に出ました。 墓場をぬけると神宮寺の葡萄畑が一面に並んでいます。
国道を南に向かうと創価学園高校の大きな校舎が並んでいます。 通ったコースはこの高校の定例の登山コースと理解しました。 そのままJR河内盤船にむかいます。
普通の道路なら20分の所を尾根の上を2時間かかったようです。 反省以前の問題です。
10.6㌔ 4時間半
小さな迷走の旅
2011年9月23日 (金)
2011年9月19日 (月)
2011年9月13日 (火)
2011年9月 9日 (金)
2011年9月 7日 (水)
伊豆の踊子
伊豆の踊子
TVで映画「伊豆の踊子」を観ました。
山口百恵と三浦友和の1974の作品です。
淡いプラトニックラブに最後はなみだがでました。
上記からYouTubeでご覧ください。
可愛い百恵チャンです・・・
2011年9月 3日 (土)
映画・ ハンナ
HANNAH
16歳の少女が殺し屋として生々しく躍動します。
フィンランドの雪山の中で父親から殺し屋として訓練をうけていたハンナは襲ってきたCIAとはなばなしく戦いますが、最後は捕えられてCIAの女ボスのマリッサの取調べをうけます。
やっと脱出したのはモロッコの砂漠の真ん中でした。 キャンピング・カーのイギリス人の一家に助けられてから、地中海を越えスペインからベルリンへとグリムの童話をモチーフにしたシンプルな肉弾アクションでバッタバッタと敵を倒す場面が展開されます。
彼女は反社会の組織で母親の卵子に手を加えて冷血な感情と特殊な運動能力を持つ人間として生まれてきて、父親と称する男にトレーニングをうけました。 CIAのマリッサは母親を殺した仇です。
イギリス人一家の女の子からはじめて友情を教えられました。 ここだけがホットします。
やっと到着した「グリムの家」も安全な場所ではありませんでした。
最後はマリッサと対決します。
映画の始まりでハンナはえぞ鹿を弓矢で倒しますが、「心臓を外しちゃった・・・」と拳銃でしとめます。
マリッサにもロビンフッドの弓で対抗しますが、最後は「心臓を外しちゃった」と拳銃で射殺します。 このようなストーリーはあまり好きではありません。
しかし、バックミュージックがすばらしい・・・です。 採点を少し甘くしました。
<翁の採点> ○○○△●
マンションの浄化槽の掃除で昼間は断水のため追い出されました。
久しぶりのステーションシネマです。 新しい大阪駅界隈は新名所になりました。
伊勢丹三越だけがダメです。 三越になったからです。
ヨドバシカメラでSUUNTO(山用時計)の電池を換えました。 千円のはずが328円です。 廉すぎです ???
2011年8月30日 (火)
武庫庄「五兵衛さんの首塚」
往年の野間から武庫庄(むこのしょう)にかけては一面のフケ田(泥田)でした。
当時の殿様は、このあたりを池にしようとしましたが、”米が出来なくなる・・・”と反対した五兵衛を打ち首にしました。
哀れんだ付近の人々は百姓には不似合いな立派な供養塔を建てました。
尼崎市武庫之荘5丁目48番地5号にのこっています。
48番地だけがバス道の東側にあって、小川に沿った斜めの道のHIRATA宅の裏にあります。 このあたりは完全に住宅地になっていますから、チョットした宝探しです。 巾50㌢の細い家の間をぬけますから、写真と略図を参考に・・・・・
阪急電車はこの武庫庄からヒントを得て、昭和12年に武庫之荘駅を作って住宅地の開拓に乗り出しました。
現代の武庫之荘本町にある武庫庄小学校が武庫庄の中心地でした。
2011年8月27日 (土)
2011年8月24日 (水)
2011年8月22日 (月)
2011年8月19日 (金)
2011年8月15日 (月)
2011年8月11日 (木)
2011年8月 7日 (日)
百日紅(さるすべり)
毎朝、歩いている笹原公園に十数本の百日紅が咲いています。
これまで経験をしなかった花ですから、興味があります。
秋まで百日間お付き合いしましょう。 前項参照
公園内は内週は430㍍で外周は500㍍ほどあります。
3週ほどして、東屋のある広場で6時半からラジオ体操です。
往きはマンションの裏から出て、野間公園で右折しますが、帰りはまっすぐ楠原稲荷にお参りして帰ります。
40分3㌔弱でしょう。
このお稲荷さんは一本の楠の古木の根元にあります。
2011年8月 4日 (木)
2011年8月 1日 (月)
2011年7月28日 (木)
映画・ コクリコ坂から
コクリコ坂から
ストーリーよりメッセージをどうぞ・・・
朝鮮戦争で輸送船に乗っていた父を失った彼女は毎朝港の見える家の前で信号旗をあげます。
学園闘争で親しくなった彼に急速に惹かれてゆきますが、二人が兄妹だと分かってきました。 ここで隣席の女性がススリ泣きました。
東京オリンピックまえのヨキ時代です。
東京・横浜の古い情景がよくあらわされています。 コクリコ坂はもちろん、殆んどの道がまだ舗装されていない土の道です。
最後の方で横浜港から出港まぎはの父の親友に会うため、二人はバーハンドルの三輪バタバタ「くろがね」号に左右からしがみつきました。
「くろがね」号をはじめダイハツ・MAZDAのオート三輪はこの復興時期のシンボルです。
「くろがね」を知ってる人はいますか・・・ 翁の胸はつまりました。
最後はハッピーエンドです。
彼女は信号旗をあげました。 VW 「安全な航行を祈る」
文芸作品です。
翁の採点 <○○○○△>
企画脚本の宮崎駿と監督の息子の宮崎吾朗との間で原作の解釈で相克がありました。 だが父権が押し切りました。 若い方には古さの良さが伝わらないでしょうか・・・
海軍潜水艦学校(回天特攻隊)では翁が旗旈信号旗原簿の管理責任をしていました。 A4で表裏表紙に鉛の板が入っています。 イザの時は海中に投棄します。
ネットで100円引きです。
900円で観られるとスゴク得した感じ・・・
コクリコは”ひなげし”のことです。
2011年7月25日 (月)
2011年7月23日 (土)
2011年7月19日 (火)
2011年7月17日 (日)
夏 祭 り
建速神社 (たてはや)
一月以上まえから、広い野間のいたるところに夏祭りの幟が立っていましたから、大きな祭りだと思っていました。
16日の夕方にお参りしましたが、夜だけなのか、まだ準備中のようでした。
売店が2軒出てました。
祭神は須佐男命ですが、この方は出雲系の神様で最初に征服した、この地方で強くてやさしい方と敬愛されたのだと思います。
2011年7月15日 (金)
2011年7月13日 (水)
阪急西宮ガーデンズ
阪急ブレーブスの本拠地、西宮球場に行ったのは昔々になりました。
ターミナルのようになった西宮北口駅から、動く歩道が2本でつないで3分でこの大きな商業施設に着きます。
入ったスグ右が阪急百貨店で左の奥にイズミヤが入っています。 その間の回廊が専門店街です。
キッズは阪急もイズミヤも大きな面積を占めています。 小さな子供をつれた若いママが多いです。
「ラコステ」が専門店街と百貨店との両方に入っています。 同じブランドの店とは分からない感じです。
専門店はヤングからヤング・アダルトの男女です。
阪急はアダルトが中心です。
両方とも盛況のようです。
下着は阪急にはありません。 ステテコはイズミヤで買いました。 ユニクロも大きな売り場を占めています。

TOHOシネマは専門店街から上がって下さい..
2011年7月10日 (日)
映画・ 小川の辺
小川の辺
海坂藩士朔之助(東山紀之)は上位討ちの命を受け、若党新蔵を連れて妹田鶴と出奔した剣友佐久間を討つべく江戸へ旅たちます。
鳥海山の麓を出て長い道のりの山道や峠をこえ、カメラは克明にその美しい自然を追って行きます。 その間に幼いときから一緒にそだった朔之助、田鶴兄妹と新蔵の間柄も紹介します。 百姓の窮乏を藩主に直訴して出奔した佐久間夫婦の事情も語られます。 兄妹が対峙するのを心配する母親の姿はあわれです。 新蔵の田鶴に対する思いは・・・
宿場町の様子もその土地の方々の協力で克明に紹介されますが・・・
藤沢周平の原作(「闇の穴」の中の短編)を読んでないので、断定できませんが原作ではここまで詳しく著述されていないと思います。
ですから冗長の感はぬぐえません。
下総の行徳の町外れの小川のほとりの破屋に身を潜めている佐久間夫婦を見つけて、田鶴の留守を見計らって決闘を挑みます。
陣太鼓の音をバックに見事な切り合いです。
やっと討ち果たしたあとに帰ってきた田鶴は兄に向かって「夫の仇」と切りかかってきますが、朔之助は田鶴を流の中に叩き込みます。
その時、朔之助は幼いある日に嵐で川の中州に立ち竦むんでいる田鶴を助けに行った新蔵を思い出しました。
朔之助が田鶴に刀を抜いた時、新蔵は主人にむかって刀の鯉口を切っていました。
朔之助は新蔵に田鶴を抱き起こせと命じ、「あとはお前にまかす」と独りで郷里に向かって歩き出しますが・・・
一般大衆には筋書きはよくわかりますが、藤沢作品の芸術性は? とにかくカメラは素晴らしいです。 予告編をひろい出してください。 簡単明晰です。
翁の採点 <○○○△●>
初めてTOHOシネマズ西宮OSに行きました。 阪急西宮ガーデンズはスゴイ商業集積です。














































































































































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