小野竹喬展
天王寺の大阪市立美術館で生誕120年「小野竹喬展」が開催されています。
明治時代の若年の作はその時代には新しすぎて人々を驚かせた思います。
絵本の感じです。
円熟期になると写生ではなくその風景の中に入り込んで昇華させています。
天王寺の大阪市立美術館で生誕120年「小野竹喬展」が開催されています。
明治時代の若年の作はその時代には新しすぎて人々を驚かせた思います。
絵本の感じです。
円熟期になると写生ではなくその風景の中に入り込んで昇華させています。
阿波座の生家跡に行ったついでに北側の靭公園に寄ってみました。
昭和の初めまでここに雑魚場(魚市場)がありましたが、福島に中央市場が出来て移転してから空き家になっていたのが大空襲で廃墟になりました。
戦後しばらく占領軍の飛行場として使われましたが、返還されてから現在のように整備されて都会のオアシスになっています。


四ツ橋筋から入るケヤキ並木はスバラシイです。
バラ園には滝と疎水や噴水が流れをつくり、あちこちに置かれたオブジェで楽しませてくれます。
なにわ筋をへだてた西園は国際試合も行われるセンターコートと合計20面のテニスコートがあります。
平日も2ヶ月先まで予約でいっぱいで何時も若い女性がボールをおっています。
テニスコートの地下は255台収容の大駐車場です。
私は大正15年春に母親の実家の西区阿波座中通で生まれました。
祖母が可愛がってくれたので小学校の中ごろから独りで遊びにゆきました。
七十数年前の記憶・・・思い出です。
難波駅前から大阪駅前行きの市電に乗って信濃橋でおります。
阿波堀川にそって西へ、一つ目の橋を南にわたって一丁ほどの右側です。
先日、訪ねてみましたが全くわかりません。
谷町4の国土地理院まで行って大正8年発行の陸測図で市電の信濃橋と阿波堀川に一つ目の橋を確認してもう一度訪ねました。
本町筋を西へ、一つ目を南へ、川はもちろんありません。 次の筋を渡った右側がこの写真です。 向こうに見えるのが中央大通りの高架です。 地名も中央大通りから北は西本町に変わっています。
このあたりは”しもた屋(意味がわかりますか?)ばかりでもう少し立売堀にゆくと職人さんの町でした。
私の思い出ははるか向こうに霞んでしまいました。
これは昔の大阪市電の路線図です。
赤線を市電に乗りました。
地下鉄の梅田~心斎橋間の開通は昭和8年ですから京都行きの省線(JR)に乗るのもこの線を使いました。 しかし京都にゆくのは天満橋から京阪に、天六から新京阪でした。
本町筋に沿った青線は阿波堀川です。
当時市電は6銭で、昭和十年に地下鉄が難波まで延びたのでそれにあわせて10銭になりました。
山歩きには国土地理院の地形図(主に2万5千分の1)が必携ですが、最近は里山歩きが多くて、そのたびにカシミール3D(地図ソフト)からプリント・アウトした地図を使っています。
最近の地形図は空中写真とGPS探査で修正していますから細い道は無くなって登山図としての要素は低下しています。
しかし葛城二十八経塚探査や昔の登山道を知る必要から国土地理院の本院に大正年間発行の初版図等を請求送付してもらっていましたが、検索の結果大阪でも閲覧できることを知り、谷町4丁目の合同庁舎4の10階にある近畿地方測量部を尋ねました。
成果閲覧室(お役所言葉ですネ)にパソコンが並んで自由に場所年度を選んで閲覧できますが、プリントアウトはできません。 別に請求申込みをします(有料)。
なお、現在発行の地図なら国土地理院の「ウォッちず」で自宅のパソコンで閲覧できます。 (これもプリントアウト不能)
また大阪市立図書館の「古地図をさがす」を検索すれば中央図書館所蔵の国土地理院の旧版地形図があります。 ただし枠が狭いから拡大して細部はわかりますが、全体をつかみ難いです。
地下鉄谷町4丁目駅の⑤号出口(交差点東北)を出ると目の前に合同庁舎4号館があります。
正面の左の植え込みに道路より高く、一等水準点が設けられています。
拡大してご覧ください。
山の頂上で三角点にお目にかかることは多いですが、水準点はその三角点の高さの基準として設けられていると理解しましょう。
詳しくは国土地理院のホームページの基準点から勉強しましょう。
しかし現在ではGPS機能の発達で無用な物となっていますが、日本国土の測量に歴史的な意義のあるものです。
この合同庁舎4号館の10階に国土地理院近畿地方測量部があります。
10月29日(木) 快晴
近鉄生駒からバスで戎公園下車
堂尾池~室池~竜王水~飯盛山~野崎観音~JR野崎
何時もは私市から星田園地を越えてこのコースに入りますが、半分に短縮しました。
堂尾池から山道に入ります。
まだ紅葉には早いようです。 道に分岐があれば左に行きます。 右を行くと回遊道路で大回りします。 自動車道に出ればセンターを過ぎて瓢箪池から山道に
入ります。
.

室池園地は山の上の湿地帯です。
あちこちにこのような板橋の通路がありますが、途中から生駒縦走路の道標に従って左です。 広い道に出ればまた左で室池の中堤に出ます。
中堤を渡らずに池の周辺から「かるがも橋」のコースを通って峠からドンドン降って下の道に出ると四条畷と反対に左に竜王水まで登ります。 ここから右へ飯盛山の山腹を登ります。
飯盛山は北から展望台、小楠公像とNHK・FMのアンテナの三つのピークがあります。
ボランチヤの方が山道に石畳を敷いていますが、好意はわかりますが自然破壊とおもいます。
南には幾つもコースがありますが、”竹林コース”をくだりました。
野崎観音のなかに”お染久松”の碑があります。
ここの長い石段は膝が悲鳴をあげます。
8.9㌔ 4時間50分 手ごろなハイキングコースです。 シャツ一枚で歩くと少し暑いですが停まると快適な気温です。 月が替わると寒くなるようです。
沈まぬ太陽
山崎豊子原作で新潮文庫の長編フィクションを映画化した3時間32分(途中休憩10分)の超大作です。
原作はアフリカ編上下・御巣鷹山編・会長室編上下の5巻ですが、映画はすぐに日航機墜落事故の見せ場に移って、それから日時を前後させながら進みます。
墜落現場は1年ががりで山の斜面を削りスクラップの機体を持ち込んでつくったようですが、まったくリアルです。
JAL社内の腐敗した体質と政官界との癒着、為替差益から賄賂の捻出を克明に描いています。
この映画の製作にJALから激しい抗議が出ています。(フィクションだとかわしたそうです)
労組委員長を誠実にやったため海外に飛ばされ、カラチからテヘランと密着したロケーションです。 8年におよんだアフリカ生活でナイロビの草原と猛獣の美しいこと・・・ 暑さと環境で相当苦労したようです。
最後はJALの再建にあたる会長と会長室長として為替差益問題をあばいたため、またナイロビにとばされて、この美しい夕陽を浴びます。 これまでされて何故辞職しないのか?・・・
JALとJRの安全管理問題が重なってきます。
現在JALは沈みかけています。 JRも信楽事故まで遡って体質を追及すべきでしょう。
3時間22分・・・途中でダラケルことなく最後までひっぱります。
主人公の家族、夫や父家族を失った遺族に搭乗員の懊悩が取り留めなく展開して散漫になったのが残念です。
製作の苦労がアリアリとあらわれている長編です。
<翁の採点> ○○○○△
この映画で公共交通機関の安全を再認識するため、観てほしい超大作です。
初日の二回目で観ました。 完全満席
一日三回公演ですから、普通は5回とくらべて興行側は効率が悪いですネ・・・
ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~
太宰治の短編小説「ヴィヨンの妻」に他の作品のエッセイを加えて映画化しました。
原作は深夜に帰ってきた小説家大谷(浅野忠信)と妻佐知(松たか子)との会話がしばらく続いてから佐知の独白で展開します。
夫の借金の肩代わりで居酒屋で働くことになって生まれ変わったようにニコヤカに働きながら日ごとに美しくなってゆく妻を見た夫は嫉妬します。
原作はここで終わりますが、これでは映画になりません。 原作を読むのに辛抱がいりますが、映画は展開でよくわかります。
佐知に恋心をいだく若い工員との淡いロマンス、佐知が昔好意をもった苦学生が弁護士になって訪ねてきます。
大谷は懲りもせずバーの女(広末涼子)と水上温泉に逃避行の末、谷川岳の渓谷で心中をはかります。
リアルに画かれた睡眠薬自殺をはかる二人の顛末がクライマックスです。
結局未遂に終わって消沈と佐知の働く居酒屋へ別れを言いに訪ねてきた夫を追ってガード下で佐知は夫の手をとって「生きていれば、それでいいのです」と言いますが・・・
”愛など信じたら、すべてが消える”と考える夫と”すべてを失った後に残るのは愛だ”と思う妻との愛の物語ですが、これが「人間失格」に繋がりますからやりきれません。
全編を松たか子は演技力でおしきります。 居酒屋の親父の伊武雅刀は存在感があります。 セットは金がかかっていますが、根岸吉太郎監督の重厚な演出には敬意をあらわします。 終戦直後ですから進駐軍やパンパンが出てきますが、何故か大正ロマンの風を感じました。 しかし翁は太宰治は嫌いです。
<翁の採点> ○○○△●
”桜桃とタンポポ”は太宰の作品の中の名文章から拾ったものですが、監督は太宰文学を追求しようとしているのでしょうか・・・
太宰文学に興味のある中高年で客席が埋まっていますが、若い人は来ないでしょうから興行成績は??
ヴィヨンは15世紀パリで無頼・放蕩な生涯をおくった近代詩人・・・
10月10日(土) 晴れ
JR津田駅~国見山~交野山~傍示~くろんど池~私市駅
歩きやすい季節になりました。
生駒山系の最北端の交野山山系を歩きました。 ここから生駒山を越えて最南端の高井田まで「おおさか自然歩道」は60㌔です。 全縦走をやれば15時間ほどでしょうが、その気力はもうありません。
地図の青線は建設中の第2京阪です。
JR津田駅から国見池まで工業団地の中を大迂回します。
国見山(287m)は南北朝時代にこのあたりの領主の津田氏の山城のあった所です。
コースから少し入ります。
歩きやすいハイキング・コースを白旗池をぬけて交野山(341m)の急階段を登ります。
巨岩の重なった山頂でお山の大将です。
梯子のような急階段を降ると管理道路に出るまで枝道がたくさんありますが道標に注意しましょう。
広い管理道路から細い山道になると傍示の里になって田畑があらわれます。
傍示峠からU字に曲がるとまた管理道路になって大きなゲートをぬけるとくろんど園地になって道の傍らに湿地の観察の板橋を縦横に並べたのが”八つ橋”でした。
まっすぐ”くろんど池”に行くつもりが右に曲がってしまってキャンプ場やバーベキュウ広場が出てきて気がつきました。 上の地図を見てください。 向かって左の道を下って真ん中の谷を上って大回りしました。 まっすぐなら1㌔強を3㌔以上に歩きました。。
しかしこの谷はステキです。 巨岩を登り岩壁をトラバースするのですが、岩にスタンスの足がかりを彫ってあるし、壁の下をコンクリートの階段が造られています。
このあたりの写真が無いのが残念・・・
くろんど池はアベックと小さな子供を連れた若夫婦でいっぱいです。
帰りは西に向かって林道から先に通った渓谷にでました。
管理道路に戻って睡蓮池からは渓谷沿いになります。
月の輪滝の前後は手すりの付いた階段の連続です。
舗装路に出てから私市駅までひとがんばりです。
16.2㌔ 6時間20分
歩きやすいコースですが、3㌔ほど余分ですからよくがんばりました。
根来寺から押川(おしこ)の里をぬけ、土仏峠から第五経塚の倉谷山にいたる古い行者道があります。
押川の部落までは車で入れるようになりましたが、それからは楽しい巾1㍍ほどの行者道になります。
深淵のある鴛川の対岸に新しい道路工事が始まって3年かかって昨年に3キロほどの農道が完成しました。
根来尾根から降りてくる道とあと200㍍ほどは未完のままです。 通過車両をさけるためのようです。
農道ですが農地はこのビニールハウスだけで右側の棟が道路になりました。
永久に農作補償料がおりると持ち主は喜んでいますが・・・
この持ち主が今まで行者道を単車で走っていたのが今はこの農道を走っています。
あとは車どころか人独り通りません、
和歌山県はこんなところで無駄金を使っています。
誰のために・・・???
山歩仲間・第五章 押川から第五経塚を参照
南海高野線の千早口駅と天野駅はこの界隈の幾つかの山の登山口です。
地図にあるように地蔵谷トンネルは7年前に、旗尾岳トンネルは5年前に完成しました。
地蔵谷トンネルは唐久谷から千早口へ、旗尾岳トンネルは千早口と天見の間を国道371号線のバイパスとしてどちらも千早口でグリーン・ロード
と結ぶのでしょう。
トンネル工事は国家予算でしますから予算が付けばいち早く完成させます。
道路は自治体のものですから地元の住人との折衝やら中々予算が自由にならないから道路は未完成のままです。
上峠から唐久谷を通ってジルミ峠を経由するハイキング道は消えてしまいました。
旗尾岳へ西から関電尾根を通るコースはこのように閉鎖されたままです。
新政権になって地方の土木予算はさらに窮屈になるでしょうから工事は再開されないと思います。
自然破壊だけがのこされました。
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